#72 カゼ予防2023年11月13日

「どうもゾクゾクするな。風邪(かぜ)引きそう」

なんて時、咄嗟に使える対処法をお伝えします。

図1にある風門(ふうもん)というツボ周辺。ここから風邪(かぜ)の悪魔が入って来ると考えてください。

ゾクゾクしたまま保(ほ)っておくと、どんどん悪魔が入ってきます。

ですから図2のように、風門あたりの上に乾いたタオルを乗せて悪魔を侵入させない。つまり入ってくるところにフタをし、悪魔が入れないようにします。

タオルは直接肌に密着させます。タオルは下着の内側に入れるということです。できれば、3〜6時間おきに入れ替える。百均で売っている綿のタオルで十分です。

それでもゾクゾク感が強い時は、一番外側に着ている服の上に『使い捨てカイロ』を貼る。できるだけ皮膚表面から遠い場所に貼る。絶対下着の上に貼ってはなりません。

低温やけどします。

インナーの上に着るニットやポロシャツの上に貼った場合も、低温やけどする事があります。理想はジャケットの上。

「そんな外側に貼って、いっこも暖かく感じへんけど、それでええん?」

はい。それでOK。それが一番安全です。

私の場合、ユニクロで買ったダウン・ジャケットの上に貼ってます。それでも結構ジワ〜っと効きますよ。

#71 人としてプロになる2023年10月30日

(前回からの続きです。患者さんの悩みに即答できる一休さんになるための修行)


先生
『 あなたは漢方のプロですが、人としてはアマチュア。気付いてますか?』

きゃーーー、きついお言葉。人格が出来てないってことやんな。わかってますがな。

屁理屈大好きで、せっかちで、他人からの評価ばかり気になって、答えがすぐ欲しい、”浅はか” な、あたし。

そやねん。そんなことで人格は整わない。わかってますがな。

ところが先生があたしに伝えたかったのは、そんなことではなかった。

あたし
「まだ私には人格が無いということですか?」

先生
「そうではありません。人は生まれた時から誰でも人格はあります」

あたし
「では、人格が足りないということですか?」

先生
「そうではありません」

あたし
「では、私には人としての品(ひん)が無いということですか?」

先生
「それも違います」

すかさず屁理屈好きのあたしは即答します。

「ですよね! 下品という品もありますからね。あ! 屁理屈です。すみません」

こんなふざけた屁理屈野郎に何年も付き合ってくださった先生には感謝してます。

先生
「プロとアマチュアの違いは何ですか?」

あたし
「それでお金を得て生活してる人はプロ、そうで無い人はアマチュア」

先生
「あなたらしい応(こた)えですね。それも言えるかもしれません。でも私があなたに伝えたいのはそのような世界観ではありません。

身近な今あるものを活(い)かし、どんなことも知恵と工夫で何とかする人。

これがプロだと考えています」

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深いなぁ〜。そういうことか。

30代で「無門関」を紹介いただき20年。無(む)の世界を知りたくて、いろんな本を読みまくり、先生よりも知識は持っているかもしれない。

でも、先生には無(む)は見えていて、私はその周辺をぐるぐる回ってるだけ。
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30代 40代 50代を経て、現在60代。まだ無(む)の景色は見えてきません。

70代になったらどんな景色が見えるんやろ。70代になったら無(む)を見出せるんやろか? 困ったなぁ〜。

『 本当に困ってどうしようもなくなったら、この封筒の中の手紙を読みなさい』

と弟子たちに言って一休さんは逝去されました。

ある日、弟子たちには解決できない本当に困った問題が起こりました。弟子たちは一休さんが残してくれた封筒を開けて読みました。中には1枚の紙切れがあり、

『 心配するな。何とかなる 』 

とだけ、書いてあったそうです。さすがや一休。かなわんわ。(了)

#70『 50代で見えた景色 』2023年10月16日

前回からの続きです。

無(む)って何なん? 

相変わらず周辺ばかりウロつく50代

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あっという間に10月です。涼しく(寒く?)なりました。

「冷え風邪(かぜ)」に、お気をつけ下さいませ。

あ! インフルエンザやコロナもね。

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今年の1月に当院の運営顧問のA君が余命5ヶ月と言われたお話をお伝えしました。

彼はまだ生きてます。担当医は

『 また5ヶ月保ちましたね。ではもう5ヶ月を目指して頑張りましょう 』

5ヶ月単位の余命宣告。

折に触れA君の安否はお伝えします。ただ、まるで「100日後に死ぬワニ」という4コマ漫画のパクリみたいです。

「5ヶ月後に死ぬA君」。

人がいつ死ぬかなんて誰にもわからない。頑張っても死ぬ時には死ぬ。だから主治医は『 頑張りましょう 』くらいしか言えないのでしょう。

それでいいのです。

洞察力の鋭い患者さんからは

『 A君のお身体、大丈夫ですか? 』

とお尋ね下さいます。

ありがとうございます。このお手紙が続く限り、彼は大丈夫です。
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30代から1ヶ月に1回寺に通い、40代で見えた景色は「自分の軸を持つ」こと。ナンと、孔子が言った『四十而不惑(40歳で惑わない)』という事やんね。

軸があれば迷ったり不安になることはないということ(らしい)。ところが・・・・

自分の軸を持つって、むずかしいんよね。

屁理屈が得意なあたしは、他人様の前では軸を持っているフリは出来る。世渡りもそれなりに出来る。患者さんからの結構深い悩みにも “とんち” で応対できる。

どこからみても自分の軸を持つ50代に見える。

ところがどっこい池の鯉。自分の軸なんて、あたしには無いの。知識や世渡りの手法、“とんち” を発する思考回路はあるけど軸がない。

こんな人を詭弁家(きべんか)と言います。あたしが50代で見えた景色はこの詭弁家という自分自身。
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あたし
「先生、いつになったら面談ではなく無門関の問答をしていただけますか?」

先生
『 無(む)を見出すのに無門関は必要ですか?』

あたし
「 え? 無(む)の理解のために無門関をご紹介くださったと思ってます」

先生
『あなたは漢方のプロですが、人としてはアマチュアですよ。気付いてますか?』
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きゃ〜、きついお言葉。

いつもやさしく面談くださる先生は、5〜6回に1度、ピシャっとまるで座禅で叩くように「気づきのムチ」を下さいます。

そやねんなぁ〜。詭弁でその場をしのげても、人格が伴わないってことなのですね。

・・・・・・ところが先生が伝えたかったのは、そうでは無かった。

#69 オンリーワン2023年09月18日

前回からの続きです。

患者さんの悩みに即答できる一休さんになるための修行

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寺の住職(あたしは門徒ではないので先生と言ってました)が出してくださった

『自転車に乗れない人に読んでもらう(自転車の乗り方の文章)を書く』

という宿題。

1ヶ月に1回の面談で30数回ですから3年ほど取り組みましたっけ?

当時のテーマは「無(む)」の概念を見出す事でした。

当初、乗り方の文章なんて「 無(な)い」。

結局カラダで覚えるしかない。

だから「 無(む)!」

などと、無門関第1則を真似して即答した “ お馬鹿 ” なあたし。(No.66参照)

先生は、あたしに問われました。

先生
『 自転車に乗って買い物に行くとか、散歩がてら自転車でウロウロするとき、自転車について何か考えて乗っておられます?』

あたし
「乗ってる時ですか? う〜ん、あの交差点は気をつけようとか、買い物の場合だったら商品の事とか、“ 散歩がてら ”なら、頬にあたる風が気持ちいいなとかそんな感じですか?」

先生
『 その時、自転車の乗り方を考えて乗っておられますか?』

あたし
「いえいえ、その時点では自転車に乗ることはカラダで覚えていて、あえて自転車のことを考えなくても “ 乗ってることが当たり前 “ な気持ちで乗ってます。いや、当たり前というより、無意識に乗ってます。 あ? この無意識な状態が「無(む)」って事ですか?」

先生
『 私があなたに伝えたい無(む)とは違います。では、今あなたがおっしゃった “当たり前” とはどういうことですか?』

あたし
「当たり前・・・って、普通なこと? 常識? 一般的なこと?」

先生
『 では、普通、常識、一般的だという判断は、どこから湧き出ますか?』

あたし
「世間様の基準? う〜ん、多くの人の意見と “ 比べること ” で湧き出る?」

先生
『 まさしくそうです。つまり東洋医学の陰陽論です。でも、これでは無(む)を語れない』

あたし
「無(む)を語る場合、他と比べて成立する陰陽論は無意味だと?」

先生
『 そうではありません。誰かに説明していく場合、言葉にしなくてはなりません。その時に陰陽論は便利な方法です。でも考えてみてください。

そこのお布施でいただいたリンゴ。あのリンゴそのものはこの世に1つだけのオンリーワンのリンゴです。

あのリンゴを陰陽論で説明できますか? 

あのリンゴをバナナと比べる? 他のリンゴと比べる? 

比べてみて、あのリンゴそのものを説明できますか?』

こんなやりとりを約3年。当時40代の門徒でも無いあたしに、80代の先生はとても丁寧に接して下さいました。

先生がご逝去されて、8年が経ちました。(つづく)
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床に着かれた先生を見舞ったとき、先生から封筒を手渡され

「困ってどうしようも無くなったら中を読んでください」

一休さんを目標としているあたし。一瞬の静寂後、2人で大笑い。

ホントに最後までユーモアに富んだ先生でした。

次回は10/02(月)配信予定です。

#68 『 景色 』2023年09月04日

(前回からの続きです)

寺通いはかれこれ30年。ホンマよく続く。

ご縁で出会った住職(あたしは先生と呼んでました)は数年前に逝去され、今は有志の集いになってます。

以前、どうして寺に行ったのかフト考えた事がありました。やっぱり学生の頃見たアニメの「一休さん」と「先生」との偶然の出会いなんやろなぁ。2人とも、むちゃカッコよく見えた。

あたしは “エエカッコしい” で、カッコ良いと思った事に強く引かれます。

ただ、私の場合、他人から見て自分はどう見えてるか、つまり他人に評価されるためのカッコ良さを追求してます。40代のある日の事・・・・

憧れの高級時計を入手し、それを着けて先生との面談に臨(のぞ)みました。

先生 
『 高そうな時計ですね 』

あたし
「はい。死ぬほど欲しかった時計で、ローンで買ってしまいました!」

先生
『 船が難破して、あなたは1人だけ無人島にたどり着いた。その時、やっぱりそのブランドの時計が欲しい気持ちは同じですか? 』

あたし
「1人で無人島ですか。それならカシオの太陽電池で動くGショックあたりが欲しいですね」←ほんま、おバカな、あたし。

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一休さんに憧れ、いろいろ調べました。どうも悟(さと)りを得たお坊さんらしい。

どんな不安や難問にも動じず、全てを受け入れるハラのすわったお坊さん。その一休さんが死ぬ前に「死にとうない」(死にたくない)と弟子に言ったそうです。へえ〜〜。

今も悟(さと)りからほど遠く、おバカなあたしですが、40代に先生から学んだ事は、自分の軸をどこに置くか。ということ。

当時のあたしには、「自分の軸」という気づきが精一杯。軸を置くことと「無(む)」がどう結ぶのか、まだわからない。

ただ、少しヒントは掴みました。

それは常識を持った上で、常識の枠に囚われないという「とんちレベル」では「無(む)」の景色は見えないということ。

この頃からです。

「50代になったらどんな景色が見える?」

と、年齢を重ねる素敵さに気づいたのは。

60代になって景色が変わったあたし。

70代になったらどんな景色が見えるんやろ。

80代になったら、90代になったら・・・。

その年齢にならんと見えない景色がある。

歳をとるのは古くなるのと違って、新しい景色が見える新しい自分との出会い。まさしく「日々新た(ひび あらた)」やで。

もう、ワクワクやん。

そういえば、「死にとうない」って、誰かが言ってたな。誰やそれ? あははは 

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一休さんは弟子たちに

「本当に困った時にだけ読みなさい」

と封印した文を残しました。

弟子たちは本当に困った時、その封を解きました。中味は・・・ 

次回は9/18配信します。

#67 手法の限界2023年08月21日

(前回からの続きです。いつ “一休さん” になれるん?)

患者さんの難問に瞬時に回答できる。これは子供の頃見たアニメ「一休さん」。

カッコええやん。

どうやったら一休さんに成れる? まずは禅宗で言う無(む)を理解することらしい。

三十代にご縁があったお坊さん(あたしは先生と言ってます)。1ヶ月に1回通寺。先生はあたしの性質を見抜き「無門関」なる「無(む)」の入門書をご紹介くださった。

先生のお弟子さんと無門関問答に明け暮れる3年間。原文や解釈を丸暗記。でも全然成長が見られない。先生との直接問答は許してもらえずイライラ。そんなあたしに

『 修行はテスト勉強ではありませんよ 』

『 知識は使うモノであって、使われてはなりません 』 

とのお言葉を賜った。ここまでが今までのお話。さすが先生。蓋(けだ)し名言や。

それから数年間、出された宿題(No.66)について先生と面談。いつまで経っても先生との無門関問答は許されず成長の実感がない。あたしは先生に尋ねました。

あたし
「やっぱり、座禅とか滝行とか断食とか、何か別の手法も取り入れた方がいいのでしょうか?」

先生
『 どちらでもいいです。無(む)を見出すのに近道はありません。あなたは沢山の書物を読んで知識は得られたでしょうが、本質の周りをぐるぐる回っているだけで、まだまだ知識に使われています。知識という手法ではどうにもならない世界観です』

あたし
「はい。ですから座禅のように静かな場所で、落ち着いて、ゆっくり自分に問いかけてみるのが今の私にとって必要な気がします」←まだ手法言ってる(汗)

先生
『 それは、お任せいたします。あなたの好きなニュートン。俗な言い方で、万有引力の法則は “リンゴが木から落ちることで発見した” と言われます。本当でしょうか?』

あたし
「違うということは知識で知ってます」

先生
『 私にその知識はありませんが、あなたと同じように違うと思います。彼は一日中、考えてた。側で大きな音がしても気が付かないほど考えていた。そしてあの数式にたどり着いた。これは、座禅と同じです。“静かな場所” “落ち着く” “ゆっくり考える” どうしてそれが必要ですか? そんな手法が、彼にあったでしょうか?』

あたし
「でも、このままでは、いつまでたっても先生と無門関の直接問答ができません」

先生
『 無(む)を見出したり、悟(さと)りを得るのに、無門関は必要ですか?』 (つづく)
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うそやろ?

何のために3年も無門関やってきたん?

次回は9月4日配信予定です。

#66 (宿題)2023年08月07日

(前回からの続きです。かっこいい “一休さん” になるための修行、まだまだ続きます)

『テスト勉強ではありませんよ』

なかなか本題のクイズに入れず、ましてや先生との問答による直接対決も許されず、修行僧の方々と3年間にわたる問答を繰り返し、コテンパンにされイラつくあたし。

先生
『無(む)とは、見えるものではなく、見出すものです。自分で生むのです。しかし、せっかく見出しても言葉になりにくいのです。覚えるのではなく、まず意味を理解する事に力を注ぎ、最後はその理解さえも無(な)い状態にしてしまう』

あたし
「それが無門関というタイトルの答えですか?」

先生
『今は、そう理解しておきましょう。人間はどうしても言葉で考えてしまう生きモノです。理解し言葉にする。この時点で知識として定着します。はて? 知識は使うモノでしょ? でも、今のあなたは知識に使われてます』

はぁ〜、とため息。屁理屈王と自負するあたしですが、あと何年続けたら、先生と直接問答させてもらえるんやろ?

先生
『宿題を出しましょう。それが出来たらお越しいただき、私と面談しましょう』

面談? 問答じゃなくて面談? 

そっか、あたし・・・、まだまだや・・ねんなぁ。

先生
『自転車に乗れない人が読む(乗り方の方法)を文章にして持ってきてください』

すぐ作業に取り掛かり、1ヶ月後、先生と面談。

先生
『いかがでしたか?』

間髪入れず、あたしは「無(む)!」と回答!

先生
『どういうことですか?』

あたし
「いろいろ書いてみましたが、自転車に乗る方法なんて文章には出来ません。結局、何回も失敗しカラダで覚えていくしかない。ですから、自転車の乗り方を文章にする方法は無(な)い。つまり、無(む)! です」

先生
『まだ勘違いされてます。あなたが生業とする東洋医学の陰陽論でお考えになったようですね。陰陽論はすばらしい。素晴らしい故にワナがある。さて、それは何?』

ワナって何よ? 

はぁ〜、いつ “一休さん” になれるんやろ。とほほ・・・(つづく)

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次回は8月21日から配信予定です。熱中症に気を取られてコロナのことを忘れてますよ。皆様、手洗い・うがい・マスク・三密回避など、基本を大切にしましょうね。

#65 『無(む)』ってどうよ?2023年07月24日

(前回からの続きです)

 患者さんの悩みを素早く解決するカッコいい「一休さん」になるには、仏教でいう「無(む)」に成ることが最初の目標.。(らしい)

「無(む)」の世界観を会得すると「悟(さと)り」なる目的に近づき、あらゆる難問が解決できる糸口がみつかる。(らしい)

まず「無(む)」をハラに落とす。そのための修行に座禅・断食・滝行・行脚・読経・問答・その他諸々ある。

あたしの性質(屁理屈が大好き、答えはすぐ欲しい)を見抜いた住職から、「これ読んでみてくださいな」とご紹介いただいた「無門関提唱 山本玄峰 著」。

「要は新しい思考回路で自分を積み上げるって事ね」

って素早く屁理屈をつけて、今までの考え方(常識や思い込み)を捨てるためにはまず「無(む)」になることが必要! と勝手に納得。

浅はかやったけど、三十代当時のあたしには、この程度の解釈(屁理屈)が限界やった。

でも、考えてみ? 「無(む)」って「無(な)い」ってことやん。無いものをどうやってハラに落とすん? 

しかも住職(あたしは先生と言っている)がご紹介くださった冊子のタイトルが「無門関」。このタイトル自体ふざけてる。 まさかユーモア?

『無の世界に入る扉があり、そこを開けて入って行くんやけど、実は扉は無いねんなぁ〜』 

入会(あたしは信者ではないので入会ね)するまでの3年間、お弟子さん達とタイトルについて問答。

修行僧と言っても、毎日毎日『泳げたい焼き君』のごとく修行という鉄板の上で焼かれてる彼ら。屁理屈大好きで得意なあたしですが、ずっと負け戦。

負けず嫌いのあたしは旭屋書店で無門関にまつわる書物を読みまくった。

もちろんクイズ48問も読みまくり模範解答や原文も暗記しまくった。学生の頃マル暗記した

「ツキヒはハクタイのクヮクヮクにしてイキコウとしもまたたびびとなり」

と同じやね。

無門関というクイズ48問。本題48の問答に入るまでの3年間、修行僧の方々とタイトル『無門関』について問答を繰り返す。先生との直接問答はまだまだ先。

「タイトルの問答はもうええから、早くクイズ48問やろうや。模範解答はきっちり覚えてる。48問、どこから問われても即答できるで」

負け続けでイライラし出したあたしの後ろから、先生はそっと耳打ちされました。

「テスト勉強ではありませんよ」 (つづく)
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無門関48則。ん? 48? どこかで聞いたような。そうだAKB48。天才プロデューサーと言われる秋元康さん。若い頃「無門関」読んでたりして。次回は8/7配信予定。

#64 「げんぽうさ〜ん」2023年07月10日

(前回からの続きです)
 
 先生から紹介された著書。

 著書と言っても玄峰老師が直接書いたものではなく、老師の講話を文字にした『無門関提唱(むもんかん ていしょう)』という冊子です。

 仏教にはいろんな修行方法があって、その1つに「問答(もんどう)」があります。

『無門関』とは、お坊さん達の言葉のやりとりが記されており、それを読んだ修行僧は、読んだ内容の意味を問われる。例えば、

『言葉は不自由で本質は言い尽くせない。しかし、言わなければ伝わらない』

さて、どうする? 答えてごらん? 

こんな難問クイズが48個もあります。

『無門関』は問題集ですが、教科書がない。このクイズは公案(こうあん)と言われます。

これを解いていくと仏教の目的である『悟(さと)り』に近づいて行くらしい。

そうなると、人生の難問でも切り抜ける「とんちの一休さん」に成れるというわけね。

教科書がないと、あたしのような若輩者は迷う。

迷うことも修行の一環なんやけど、弟子には出来るだけ効率的に学ばせてやりたいという親心から、『無門関』を解説するお坊さん達が現れた。

その1人が山本玄峰(やまもと げんぽう)というお坊さん。

屁理屈王と自負するあたしは、

『無門関を解説すること自体、禅がわかってない』

と、生意気な事を散々言ってましたが、先生はニコニコされて

『それも言えてますね』

などとサーーっと聞き流されて、糠(ぬか)に釘や。

あかん、相手にされてへん。

そそ、#28のお手紙でご紹介した

『日本にお茶を流行させたお兄さん』

このお兄さんも流派は違へど、お仲間です。

それぞれの流派はマクド・モスバ・ケンタッキーのように各地に禅寺を展開しました。みんな微妙な良さがありますのよ、ホンマに。

さて、

この「公案」というクイズを解く行為が「悟(さと)り」に近づく方法として有効な修行なのか、それとも残念な修行なのか。

また、目的の「悟り」に到達する準備段階として「無(む)」を理解することが目標なんやて。ほんまかいな? 

そうは言ってもまずはスタート地点に行く為には仏教や。ほんで「無(む)」を理解せんと始まらんようや。

でも・・・・「無(む)」って何も「無(な)い」ことやん? 

何も無いのにどう理解すればええのん?  (つづく)

PS:今回も補足動画を作りました。作ってるウチに楽しくなって2時間も遊んでしまいました。あかん、もう午前2時。はよ眠らんと。

大きな音が出ますので必ずヘッドホンなどで試聴してください。
8分の動画です。

https://youtu.be/I9t0uQxTbZk

#63 『断食? 滝に打たれる? それとも?』2023年06月26日

お待たせしました。あたしの禅寺通い。

え? 誰もまってへんて? あはは。

禅寺といえば仏教。「え? そー爺ぃは無宗教じゃなかった?」

はい。無宗教ではありますが、冠婚葬祭や初詣には欠かせないニッポンの文化として、それなりにお付き合いする常識はあります。

そんな程度のあたしがナゼ禅寺に行く?

だって修行すれば『とんちの一休さん』になれるんだぜ。

難問・奇問、なんでも来い。どんな患者さんの相談も、まかせんしゃい。わはははははははは・・・ ってわけね。

どんな修行があるんだ? 

座禅・断食・滝行・行脚・読経などなど へ? あかんでコレ! 

どれもこれもめんどくさい。それに、しんどい。しんどいのは嫌やんな。

ご縁があって出会ったお坊さん。あたしは先生と言ってます。

先生はあたしの性質を見抜き、当時のあたしに最も適した修行として一冊の書物を紹介下さった。

『これ読んでみてくださいな』

お陰で約30年、修行は楽しく続いてます。

あたしは無宗教と言ってますが、白状します。実は信じている宗教があるのです。

世間ではキリスト教・イスラム教・仏教が、3大宗教と言われてるらしいけど、あたしが信じてるのは 現代科学という宗教。

学生時代、左翼系の教員が多かった影響で、あたしは科学という宗教にハマった。

日本の教育は科学の布教活動やね。その証拠に、

何か疑問が生じた時、人は「それは、科学的にどうなんですか?」とおっしゃいます。

「イエスが、ムハンマドが、ブッダが、どう言ってます?」とは言いません。商品の宣伝も『科学的』な文言が添えられると、皆さん安心してその商品を信用して買う。

まさしく宗教やん!
 
あ、誤解ないように申しますが、あたしは「**の科学」という特定の宗教団体の信者ではありません。

自然の理(ことわり)を数式や化学を使い仮説と検証で語る現代科学(自然科学)のことね。マジで追求すると、自然科学って、ほんますっごい学問です。

(注)「**の科学」なる団体を否定しているわけではありませんよ。念のため。

そそ、先生から紹介された一冊は『無門関提唱 山本玄峰 著』というタイトルです。 結構ムズいんやなぁ、この一冊。(つづく)

補足動画を作りました。5分程度の乱暴な動画。大きな音が出ますから(あたしの声)ヘッドホンなど使ってください。

https://youtu.be/S0f_yyWy3zI