#70『 50代で見えた景色 』2023年10月16日

前回からの続きです。

無(む)って何なん? 

相変わらず周辺ばかりウロつく50代

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あっという間に10月です。涼しく(寒く?)なりました。

「冷え風邪(かぜ)」に、お気をつけ下さいませ。

あ! インフルエンザやコロナもね。

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今年の1月に当院の運営顧問のA君が余命5ヶ月と言われたお話をお伝えしました。

彼はまだ生きてます。担当医は

『 また5ヶ月保ちましたね。ではもう5ヶ月を目指して頑張りましょう 』

5ヶ月単位の余命宣告。

折に触れA君の安否はお伝えします。ただ、まるで「100日後に死ぬワニ」という4コマ漫画のパクリみたいです。

「5ヶ月後に死ぬA君」。

人がいつ死ぬかなんて誰にもわからない。頑張っても死ぬ時には死ぬ。だから主治医は『 頑張りましょう 』くらいしか言えないのでしょう。

それでいいのです。

洞察力の鋭い患者さんからは

『 A君のお身体、大丈夫ですか? 』

とお尋ね下さいます。

ありがとうございます。このお手紙が続く限り、彼は大丈夫です。
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30代から1ヶ月に1回寺に通い、40代で見えた景色は「自分の軸を持つ」こと。ナンと、孔子が言った『四十而不惑(40歳で惑わない)』という事やんね。

軸があれば迷ったり不安になることはないということ(らしい)。ところが・・・・

自分の軸を持つって、むずかしいんよね。

屁理屈が得意なあたしは、他人様の前では軸を持っているフリは出来る。世渡りもそれなりに出来る。患者さんからの結構深い悩みにも “とんち” で応対できる。

どこからみても自分の軸を持つ50代に見える。

ところがどっこい池の鯉。自分の軸なんて、あたしには無いの。知識や世渡りの手法、“とんち” を発する思考回路はあるけど軸がない。

こんな人を詭弁家(きべんか)と言います。あたしが50代で見えた景色はこの詭弁家という自分自身。
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あたし
「先生、いつになったら面談ではなく無門関の問答をしていただけますか?」

先生
『 無(む)を見出すのに無門関は必要ですか?』

あたし
「 え? 無(む)の理解のために無門関をご紹介くださったと思ってます」

先生
『あなたは漢方のプロですが、人としてはアマチュアですよ。気付いてますか?』
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きゃ〜、きついお言葉。

いつもやさしく面談くださる先生は、5〜6回に1度、ピシャっとまるで座禅で叩くように「気づきのムチ」を下さいます。

そやねんなぁ〜。詭弁でその場をしのげても、人格が伴わないってことなのですね。

・・・・・・ところが先生が伝えたかったのは、そうでは無かった。

#71 人としてプロになる2023年10月30日

(前回からの続きです。患者さんの悩みに即答できる一休さんになるための修行)


先生
『 あなたは漢方のプロですが、人としてはアマチュア。気付いてますか?』

きゃーーー、きついお言葉。人格が出来てないってことやんな。わかってますがな。

屁理屈大好きで、せっかちで、他人からの評価ばかり気になって、答えがすぐ欲しい、”浅はか” な、あたし。

そやねん。そんなことで人格は整わない。わかってますがな。

ところが先生があたしに伝えたかったのは、そんなことではなかった。

あたし
「まだ私には人格が無いということですか?」

先生
「そうではありません。人は生まれた時から誰でも人格はあります」

あたし
「では、人格が足りないということですか?」

先生
「そうではありません」

あたし
「では、私には人としての品(ひん)が無いということですか?」

先生
「それも違います」

すかさず屁理屈好きのあたしは即答します。

「ですよね! 下品という品もありますからね。あ! 屁理屈です。すみません」

こんなふざけた屁理屈野郎に何年も付き合ってくださった先生には感謝してます。

先生
「プロとアマチュアの違いは何ですか?」

あたし
「それでお金を得て生活してる人はプロ、そうで無い人はアマチュア」

先生
「あなたらしい応(こた)えですね。それも言えるかもしれません。でも私があなたに伝えたいのはそのような世界観ではありません。

身近な今あるものを活(い)かし、どんなことも知恵と工夫で何とかする人。

これがプロだと考えています」

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深いなぁ〜。そういうことか。

30代で「無門関」を紹介いただき20年。無(む)の世界を知りたくて、いろんな本を読みまくり、先生よりも知識は持っているかもしれない。

でも、先生には無(む)は見えていて、私はその周辺をぐるぐる回ってるだけ。
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30代 40代 50代を経て、現在60代。まだ無(む)の景色は見えてきません。

70代になったらどんな景色が見えるんやろ。70代になったら無(む)を見出せるんやろか? 困ったなぁ〜。

『 本当に困ってどうしようもなくなったら、この封筒の中の手紙を読みなさい』

と弟子たちに言って一休さんは逝去されました。

ある日、弟子たちには解決できない本当に困った問題が起こりました。弟子たちは一休さんが残してくれた封筒を開けて読みました。中には1枚の紙切れがあり、

『 心配するな。何とかなる 』 

とだけ、書いてあったそうです。さすがや一休。かなわんわ。(了)